昨日友人同士のSNSで熊本への支援物資を運ぶという連絡がありオムツをほんの少しですがお願いしました。
無事に届いて1つでも1人でも少しでも今の状況が楽になりますように。そして支援物資の到達に差があり、避難所格差があるとのこと。
どうか、どうすれば支援物資がただ準備されるだけでなく被災地に必要な所に届くのかテレビや行政が情報発信して下さることを祈ります。
私共スタッフにできるのは1つでも1人でも身近にいらっしゃる患者さんを元気にして差し上げること。元気になることで生まれるパワーや優しさを、元気のない場所や人に届けられますようにと。
避難弱者。我が家の次女は年齢も幼い、言葉でのコミュニケーションが不完全、身体の疾患がある、1人では絶対に避難できません。しかし彼女にとってはこれが彼女の日常でいかに彼女なりの自立をしていくか、助けを頂くコミュニティに身を置く練習をするか数年先、数十年先を見て彼女を導いていかなければなりません。親が彼女を守れなくなる時がいつか来る可能性は高いのです。
彼女が1歳半くらいでした。1歩2歩、歩き出しそうなときに公園にあるゴム製の広場で好きにさせて、立ち方・歩き出し方を見ていました。
脚の長さ太さが違うので、歩き出しのよちよち状態でも脚がおかしいなと初めて見る方でもわかるかもしれません。公園をお散歩する70代くらいの男性女性6人くらいの集団の方々が「あんよ頑張れ~かわいいね~」と声をかけながら通り過ぎ、最後の男性が「あら、こん子は脚がおかしいが」と言い放って去って行きました。
私は全く存じ上げないその方の行動に、無関心の縮図を見た気がしました。
体を診ている私共ですから彼女はまだ歩き出さないほうが良いということはわかっていました。ただお母さんは他の大多数の健常な子供と比べて違っていることには常に心を痛めています。身体・発達・精神の成長の遅れや何らかの障害に対してしてあげられることをご家族はいつも想っています。
その男性の一言は私は要りませんでした。聞こえないように言ってくれたら良かったのに、そう思いました。
南日本新聞の数日間に渡った特集でも発達障害を持つ当人やご家族の現状が記事になっていました。一番必要なのは理解です。寄り添って知ることです。個人差がすごくあり、専門家に任せたいという声もありますが、世の中は専門家ばかりではありませんし、当人は専門家ばかりのコミュニティだけで生活するわけではありません。当院では治療や体使いのコーチングを通じて患者さんの日常をより良いものにするコミュニティの1つでありたいと考えています。もちろん我が家のひいちゃんも治療・コーチングを受けて成長しています。
1つでも1人でも体に関わることでお役に立てるよう頑張りますね